本文へ

占領された島々

ページ番号
1100124
更新日
  • Xでポスト
  • Facebookでシェア

昭和20年8月18日からのソ連軍進攻

ソ連軍侵攻図

北方領土元居住者調べ

昭和20年8月15日在島者

歯舞群島 歯舞村

水晶島 986人
秋勇留島 88人
勇留島 501人
志発島 2,249人
多楽島 1,457人
計 5,281人

色丹島

色丹村 1,038人

国後島

泊村 4,864人
留夜別村 2,500人
計 7,364人

択捉島

留別村 2,258人
沙那村 1,001人
薬取村 349人
計 3,608人

合計 17,291人

占領された島々

 第2次世界大戦で日本が敗戦し、昭和20年8月15日「ポツダム宣言」を受諾、ソ連軍は、千島列島を次々と南下し、8月18日から9月5日までに全ての島を占領、その兵力は、9,440名であったといわれています。
 島で生活していた人の中には、暗やみの中、小舟で島を離れ、途中荒波の犠牲になったり、わずかな身のまわり品を持って樺太を経由したりと大変な苦労をして本土に上陸した人がいます。引き揚げた人々の大部分は、島の見える根室管内で、不慣れな地での生活を余儀なくされました。

北方領土返還運動

 日本固有の領土である国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島は、私たちの祖先から代々引き継いできた地です。これを再び手に取り戻そうと根室の地から返還要求の声が叫ばれたのは、終戦の秋頃からでした。
 当時の根室町長安藤石典は、島からの引揚者の援護に全力を挙げるとともに、昭和20年12月1日には連合軍最高司令官マッカーサ一元帥あてに北方領土返還についての陳情書を出しました。これが北方領土返還運動のはじまりです。
 根室から上がった返還要求の声は、やがて北海道内の各地にこだまし、運動の輪はしだいに広がりを見せ、昭和25年にはいろいろな団体と道内自治体が一緒になって「千島及び歯舞群島返還懇請同盟(後の公益社団法人北方領土復帰期成同盟)を発足させ、昭和30年には元居住者たちも自分たちの父祖の地を返してもらおうと「千島列島居住者同盟(後の公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟)」を発足させました。これらの団体は、政府への陳情をはじめ各地での住民大会、講演会、北方領土展、署名などを展開し、領土の返還に対する世論を盛んにするため、活動しています。

資料

お問い合わせ

企画政策課

〒086-1632
北海道標津郡標津町北2条西1丁目1番3号
電話:0153-85-7240
FAX:0153-82-3011